『一ノ瀬泰造 ぼくが愛した人と村』
夕べのクリスマスイブの夜
ブックオフで『一ノ瀬泰造 ぼくが愛した人と村』というフォトポエムを手にいれた(窓社刊/一ノ瀬信子編)
一ノ瀬泰造のお母さんが最近になってまとめたフォトポエムなのだ
巻頭に、一ノ瀬泰造の子どもだった頃の絵があった
(上の写真)
『おふろわかし』
一の五 いちのせたいぞい
「ぼくがあそんでいると
おとうさんがよびました
ぼくはかけて
うちにいきました
そしてぼくは
おふろをわかしました
そしてぽちも
おふろばにきました
おふろからあがって
ごちそうをたべました
そしてかばやきを
たべました」
アンコールワットに消えた戦場カメラマン
一ノ瀬泰造
■一ノ瀬泰造(TAIZO ICHINOSE) 略歴
http://gxc.google.com/gwt/x?client=ms-kddi_blended-jp&wsc=tf&wsi=9f6057cb7ebfd89d&u=http%3A%2F%2Fwww.alao.co.jp/taizoichinose.html&ei=Ji73TveNOOzumAX2uoisCw&ct=np&whp=3109
「来てみたら、見渡す限りのやしの木、水牛と子供たちが一緒に小川で水浴び、広大な草原で昼寝の牛、素晴らしい村です。
正直な人びと、美しい国、ぼくが最も愛するカンボジアになんとかはいれました。
街を歩くのも自分の庭を歩いているような落ち着きを覚えます。‐泰造」
「私たちは、血も凍るような戦闘場面、そして荒廃した町での民衆の日々の生活、または転じて、戦いの中でのベトナム女性、特に若い女性の喜びと悲しみの浮き彫りを、年老いた老婆の望み亡き行く末を、深い思いやりをこめて、写してほしいと思います。
また、寒々とした中に、ハッとするような思いがけない時に女性の何気ないようなファッションなども良いですネ。
私どもは知りたいと思います。あせってケガなどしないよう、気をつけてください。‐母より」
「おばあさんは、七八年間のカンボジアの歴史を見つづけ、これから先のことも見通せるのではないかと思えるような眼と、何事にも恐れることのない、悟った、澄んだ眼をしている。
ロックルーの口元はゆがみっ放しだったが、そのうち目がうるんできて、時どき向こう側の空をまぶしそうに見上げると、さっと涙を払っていた。
戦争がもたらすものは、やはりこういった戦わない人までも引っぱり込み、不幸のドン底に蹴落とすものですネ‐泰造」
泰造の写真はやさしい
泰造は、戦争の写真を撮ったが
そこに写っているのは、血ではなくて
地球の人びとと共にあるおびただしい泥だった
「地雷を踏んだらサヨウナラ」
一ノ瀬泰造は駆け抜けた
まだ二十六歳だった
by harappanohappa
| 2011-12-26 00:28
いのちたちの居場所
by harappanohappa
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